2017年11月12日日曜日

愛は魂を引きつけ合う力



月が地球の周りを回っているのは、両者の間に万有引力が働いているからです。

もし、引力がなくなれば、月は周回軌道を外れて、宇宙のかなたへと飛んで行ってしまうでしょう。

目に見えない力が、地球と月の間に働いているのを、疑う人は誰もいません。



この世で人を引き付ける力を持っているのは何でしょうか。

ある人にとっては、それはお金かもしれません。

あるいは、名声や権力であったりします。

美貌も、そうかもしれません。

それらに引き付けられて集まって来た人は、対象を失ったとたんに離れて行ってしまいます。



人と人を引き付け合うものは、それだけではありません。

それは愛です。

愛は、人と人を引き付け合う引力のようなものと考えられます。

磁石のS極とN極が見えない力によって引き付けられるように、魂と魂は目に見えない愛によって引き付けられます。



なぜ、愛によって人は引き付け合うのでしょうか?

愛は1つになろうとする、神の力と考えられるからです。

もともと1つであったものが別れて、愛によってまた1つになって行く、それが神の意志と思います。



ところで別れって何でしょう?

もしも、親しくしていた人が何かの事情で遠くに引っ越してしまえば、それは別れであり、寂しいものです。

しかし、今は携帯電話があるので、声を聞きたければ、直ぐに聞くことが出来ます。

交通手段が発達しているので、また会おうと思えば、いつでも会うことが出来ます。



そばにいれば、別れはないのでしょうか?

目の前にいたとしても、別れていることはあります。

人と人の間に親愛の想いがなければ、鉄と鉄を近くに置いても引き合わないように、魂を引き付け合う力は働いていません。

いくらそばにいても、霊的には無関係です。



死は別れを意味するのでしょうか?

死んで姿は見えなくなっても、別れていません。

確かに死んでしまえば、見ることも、話すことも、触れることも出来なくなります。

携帯電話やメールをしてもつながらず、世界中どこを探しても、その姿は見つけられません。

けれども、愛がある限り別れはありません。

人の本質は、目に見える肉体ではなく魂です。

死んで見えなくなっても、魂は変わりなく存在しています。

この世とあの世の魂から放たれる愛という霊的な力により、両者は生前と全く変わらずに結ばれています。

あの世の人は、そのことが良く判っています。

残念ながら、この世の人には実感がありません。

実感がないので、魂なんて存在しないと思うのであれば、自分から別れを告げていることになります。



愛は、お互いを引き付ける力だけなのでしょうか?

それ以外にも、魂を良い方向に変えて行く力を持っています。

イソップ物語の「北風と太陽」の日差しのようなもが愛であり、他のどんな力によっても変わらない人(魂)が、愛によって変容します。

愛を受けて、自らにも愛が湧き上がり、それを外に向かって表現したくなります。

愛は愛を表現する衝動を起こさせる力であり、表現することによって魂は成長し、変容して行きます。



あの世の魂から愛が放たれ、それがこの世の魂に伝わり、魂のありさまを変えて行きます。

伝わってくる愛により、悲しみは癒され、生きる力が生まれ、心に光が灯ります。

一瞬にして、心境を変化させる力を秘めていますが、五感を超えたものなので、この世の人は無意識の内に伝えれていることに気付けません。

しかし、あの世の人は返してもらおうと思ってはいないので、それで良いのかもしれません。



肉体はなくなっても魂は存在し、愛で結ばれている限り、別れはありません。

変わりなく結ばれていることを信じられる人は、あの世から愛を受け取ることが出来ます。

受け取った愛の力により、心があたたかくなり、安らぎを覚えます。



今生の(肉体上の)別れは、時に途轍もない苦痛を伴います。

その苦痛は、本当の自分(魂)を目覚めさせると言う神の計画の一部と考えられます。

この世に生まれて来た目的はたった1つであり、自分(魂)を成長させるためです。

困難や障害を乗り越えて行くこと、愛を表現することで、魂は成長して行きます。

神から見れば、直接的な愛の表現も、求めることも、祈ることも、信じることも、失った悲しみの涙も、同じ愛の表現なのかもしれません。

同じ成長をするのなら、悲しみの中でなく、喜びの中で成長するのでも良かったのではと思う時があります。

しかし、深い悲しみの経験から学んでいるのは、言葉にならないほど大切なものであり、実体験しなければ判らないのかもしれません。

この世で、大きな成長を望む人にとって、どうしても必要だったのかもしれません。



同じ次元に生きて、同じ経験をしても、同じ想いを共有しているとは限りません。

違う次元にいても、この世の人と同じ想いを共有することが出来ます。

この世では人の想いは見えませんが、思念の世界であるあの世は、この世の人の想いが視えます。

この世にいる人が遭遇する出来事から生じている想いを知り、同じ想いを共有しようとします。

うれしいことがあったら、我が事のように喜びます。

つらいことがあれば、同じようなつらさを感じます。

それでも乗り越えて行かなければいけないのを知っているので、励まし、力付けようとするでしょう。



別れにより、この世の人とあの世の人は、どれほど愛し、愛されていたのかを知ります。

別れほど、愛を喚起させるものはありません。

別れを通して愛の本質を学び、この世界で愛より大切なものはないことを、深く魂に刻んで行きます。



止むことない悲しみ、寂しさは、愛し続けていればこそです。

悲しむことも、愛することも、その人を想うことに変わりはありません。

この世で共に暮らし、愛し続けるのには限界がありますが、次元を異にして生きることで、純粋に想い続け、愛し続けることが出来るのかもしれません。



求める気持ちは愛です。

求め続けている限り、愛し続けています。

この世が終わる時まで求め続けたならば、一生愛し続けたことになります。

そこまで求め続け、愛し続けることは、別れなしには出来ないのかもしれません。



その想いはあの世の魂に届いています。

受け取った想いに応えるために、道を間違えないように、この世の魂が成長できるよう、想いを返して導き続けます。



次元を異にして生きてきた魂は、同じ次元で再会する時が訪れます。

次の次元に移行した魂は、流した涙により、魂は浄化され、成長していることに気付きます。

待っている魂は、お互いの愛により同じ輝きを放つようになった魂を見つけて、そっと抱きしめるでしょう。

愛し続けられたことを誇りに思い、お互いの魂を引き付け合う力が強くなっていることに驚くでしょう。