2016年4月24日日曜日

霊界の道具として



人生の1つ1つの出来事は、密接につながりあい、意味を持っています。

約10年前のある朝、左手から病気を癒す力が出ていることに気付きました。

同時期に、「シルバーバーチの霊訓」との出会いがありました。

まもなく、かつてない苦難が訪れました。

その3つの出来事により、霊的真理を手にすることができ、私の人生を大きく変えて行きました。



このすばらしい真実(霊的真理)を、多くの人に伝えたいと、心から思うようになりました。

伝えたいというよりも、伝えなければいけないという、切迫した思いだったかもしれません。

当初は、私の周りにいる、親しい人を亡くした知人に、「生きている」ことを伝えていました。

喜んでくれると思ったのに、悲しみを蒸し返さないで欲しいと言われてしまった時もあり、自分本位になり、相手への配慮を欠いた行動だったと反省しました。



少し前の話になりますが、私の医院で働く女性のお母さんが、末期のガンと診断されました。

それを知り、少しでも良くなればと思い、ヒーリングをしました。

その時、お母さんに霊的真理の話をしましたが、隣にいた彼女も、黙って聞いていたようです。

残念ながら、お母さんは数か月後に亡くなり、お別れの直後に彼女から電話をもらいました。

一言、「必ずまたお母さんに逢えるから」と、自信を持って彼女に伝えたところ、泣き声で「先生に会えてよかった」と、言ってもらいました。

その瞬間、霊的真理を伝える悦びを実感しました。



世の中には、降りかかる苦難に打ちのめされ、真実を知ることで、救われる人がたくさんいると思われ、どのようにしたら伝えられるか、いつも考えています。

今は、インターネットを通じてコミュニケーションが出来る、便利な世の中になりました。

以前、愛犬と動物愛護活動の様子をブログに書いており、それを小さなコミュニティーに載せていました。

しばらくして、そのコミュニティーにあった、1つのブログが私の目に留まりました。

ブログの主は、40代の女性であり、末期の乳ガン患者さんでした。

数年前に手術をしましたが、再発してしまい、抗ガン剤による治療を行っていました。

自分の正直な思いをブログに書き綴っていましたが、行間から、乳房を失った悲しみ、再発してしまった絶望、身体を徐々に蝕んでいくガンに怯えているのを感じました。

そのブログを見ている人たちが、彼女を励ますためにコメントを送っていて、私も何か力になれないかと思いました。

霊的真理こそ、彼女に心の安らぎを与えられると考えて、死は怖れるものではないこと、今の苦しみからの解放であることを、コメントで伝えました。

しかし、彼女とって何よりつらいのは、ガンの苦痛や死の恐怖よりも、優しいご主人と、二人の子供たちを残して逝くことでした。

霊的真理を伝える前に、相手の想いを深く知らなければいけないと反省しています。



その女性は、大きなブログ投稿サイトにも参加していて、そのサイトには、様々な病気の人たちが、思いのたけをブログに書き込んでいました。

その中の1つに、やはり術後に乳ガンが再発してしまった女性がいました。

文章では、元気に明るく振る舞っていましたが、憔悴し、不安と恐怖に怯えているように思えました。

彼女は抗ガン剤治療を受けていましたが、それは想像している以上に苦しいものであり、病院ではなく自宅で一人耐えていました。

私は、霊的真理に基づいて彼女を励まそうと、病気には必ず原因があり、原因さえなくなれば必ず治る、乗り越えられない苦難はないとコメントを送り、私のブログが何かの参考になればと考えアドレスを書き加えました。

どうやら見ていただけたようで、それからはコメントではなく、お互いのブログ上でやり取りが始まりました。

その後、ガンによる苦痛はさらに大きくなり、それに抗ガン剤による苦しみが加わり、これ以上の苦しみには耐えられないと訴えていました。

その女性は、結婚して子供を産んで直ぐに、ご主人を交通事故で亡くされていました。

女手ひとつで、子供を育てあげ、ようやく落ち着いて来た矢先にガンを宣告され手術し、数年後に再発してしまいました。

藁をもすがる思いで抗ガン剤治療を受け、その苦しみに耐えている人に、健康な私が軽々しく励ませないと思いました。

どうして、これほどまで苦難に遭わなければならないのか?

かける言葉は、なかなか見つかりません。

乗り越えられない苦難はない、今の苦しみは魂の向上につながっているのは確かな事実なのですが、その言葉をそのまま、ひどい苦しみの中にいる人にかけるのをためらいました。



希望が持てるような、力になるような文章にしようと、思いを巡らしていました。

そうしている内に、頭の中に、画像のようなイメージが、突然、浮かび上がりました。

それは、身体にまとわりつく、黒っぽくて、細長い塊のようなものでした。

最初は、何のことだか判りませんでしたが、しばらくしてガンのしこりを表していることに気付きました。

そして、その塊りは、物質から出来ているのではなく、「想い」の塊であることが、意識の中に浮かび上がりました。



当初は、霊的真理で励まそうと思っていたのですが、予想外の展開となって行きました。

次々に伝わってくる言葉があり、それを書き留めて、順番を入れ替えたり、言葉を整えて行くと、ぎこちないものですが、どうにか1つの文章になって行きました。

伝わってきた内容の要旨は、ガンの本体は、表現できなかった摂理に反した想いであり、霊的次元に原因がある病気のため、ガンを消滅させようとする肉体次元の治療では、根本から治せないというものでした。

その旨を、何とかして伝えたいと思いました。



しかし、その文章はシルバーバーチの霊訓には書かれていないものであり、ブログに投稿すべきか、とても迷いました。

そこで、自問してみました。

動機は、自分のためではなく、人のためなのか。

全責任は自分が取ることになるが、それでもいいのか。

人のためであることを何回も確認し、責任は自分で取ると覚悟を決めました。

そして、伝えてくる者を信じて、私は投稿しました。



こちらから求めた問いに対して、向こうから答えが返ってきますが、それが霊的真理に適ったものなのか1つ1つ検証をしながら、その後もブログを書いて行きました。

真理に精通しているわけではありませんので、誤りは多々あったと思います。

また、自分の潜在意識により、大きく影響を受けている可能性は否めません。

しかし、ガンにより苦しむ人が、少しでも良くなればと思い、ブログの更新を続けて行きました。

残念ながら、二人の女性は苦しい闘病生活の末、愛する人たちを残して亡くなりました。



ブログを書く時に、霊界の意向のようなものも、うっすらと感じていました。

それは、物質(肉体)の呪縛にとらわれている、現代医学に対する警鐘のようなものでした。

地上時代に間違った治療をしていた、医者の懺悔のような想いも感じました。

特に印象的だったのは、抗ガン剤による治療は、神による治癒(免疫機能の働きと考えられます)を妨げてしまう愚行であり、即刻、止めるべきと伝わってきたことです。

伝えてくる向こうの人たちと、一体感のようなものを感じながら、頭を空っぽにして、思い浮かんできたことを、素直にブログに書き続けました。

内容が正しいのか、検証する術はありませんが、伝えようとする向こうの意志を感じたので、信じて書いて行きました。



最近、ヒーリングを行ったガン患者さんから、興味深い報告がありました。

ヒーリングをして数日後に血液検査をしたところ、NK細胞(ガンやウィルスなどの異物を攻撃し死滅させる免疫担当細胞の1つ)の活性が、担当医が驚くほど高かったそうです(54歳・51%)。

その人は、抗ガン剤治療を受けていませんでした。

今までの私の経験から、抗ガン剤治療を行った患者さんの、ヒーリングに対する効果は高いとは言えず、何故だろうと思っていました。

NK細胞の活性が高まっているとすれば、ヒーリングにより免疫系が賦活していると考えられます。

また、抗ガン剤はガン細胞を死滅させると同時に、副作用として免疫機能の主役である骨髄細胞も損傷させてしまうのは、周知の事実です。

ガンは、異質な細胞が際限なく増殖し、肉体を死に至らしめる病と思われていますが、ごく小数ですが、医学的な治療を受けないで、自然治癒する人たちがいます。

そんな人たちは、偶然、治ったのではなく、自然法則の働きにより治ったと考えられます。

身体から病巣を消滅させるのではなく、本当の自分(魂)に目覚め、内にある想いが解放され、自然法則に適った生き方や考え方に変わることでガンが癒されると、霊界では考えているようです。

しかし、病気の苦痛による償いが終わり、生命力という自然治癒力により癒される時が来ても、抗ガン剤により骨髄細胞が深刻なダメージを受けていれば、免疫系は機能せず、身体から排除は出来ません。

やはり、神から与えられた治癒機能を、人間が壊してしまうのは許されない行為だと、改めて感じました。

現代医学で常識とされる行為が、霊界から見ると愚行として映ることも、多くありそうです。

裏付ける科学的根拠は何もありませんが、ブログを見ていただいた人の中に、その意味を理解し、役立ててくれる人がいると信じています。



話は変わりますが、ある日、誰もが知っている悪質な事故により、お子さんを喪ったご両親の姿が、テレビのニュースで映っていました。

その表情は、悲しみに沈み、疲れ切り、憔悴していました。

謂れなき誹謗中傷も受けていたそうです。

こんな理不尽なことはないと憤りを憶え、心が癒やされるようにと願い、代理人を通してシルバーバーチの霊訓の1巻をご両親に送ると共に、ヒーリングを申し出ました。

もしかしたら、出しゃばりや自己顕示欲の表れではないかと思いましたが、ご両親にとって霊的真理こそ必要と、強く感じました。



それから数年後になりますが、仕事の関係で、ご両親の住む地方都市を訪れることになりました。

折角なので、本を渡してもらった代理人に会って、その時のお礼を言おうと訪ねたところ、あいにく留守でした。

出直そうと考え、しばらく散策していると、繁華街の一角に清楚な神社がありました。

境内にある長椅子に腰かけて休んでいると、本当に突然なのですが、心の中に言葉が湧いてきました。

それは、無垢な言葉であり、事故で亡くなった子供たちからのものと直感しました。

私の頭が作り出したものかもしれないと思いましたが、その言葉に、両親を気遣い、敬う子供たちの強烈な想いが込められていました。

その想いが、私の魂に伝わって、涙が溢れ出てきました。

7,8行でしたが、伝わって来た言葉を反復しながら、便箋に書き留めました。

そして、代理人に言葉を書き留めた手紙を、ご両親に渡すようにお願いしました。



その10日ぐらい後になりますが、ご両親がテレビのニュースに出ていました。

画面に映るお母さんの表情は、とても晴れやかでした。

被告人に対して起こしていた、民事訴訟を取り下げ、和解したことを告げていました。

記者会見で、「亡くなった子供たちと一緒に生きている」と、とても明るく語っていました。

その言葉を聞いて、涙が出るほどうれしくなり、思わず神に向かって感謝しました。

一面識もなく、どこの誰とも判らない私が渡したメッセージを信じてもらい、子供たちは生きていて、一緒にいるという真実に目覚められたと確信しました。

もし、あのメッセージが私の頭で作られたものであれば、お母さんの魂にまで届くことはなかったと思います。

この一件で、願いは霊界に伝わり、必要と判断されたなら、叶えられることを知りました。

そして、向こうにいる人の想いを、魂の存在を信じている人間であれば、受け取れる可能性があることを知りました。



世の中には、笑顔の下に、深い悲しみを抱えている人たちがたくさんいます。

子供や配偶者など、最愛の人を亡くされた人たちのブログを見ると、そのことが良く判ります。

経験のない私でも、魂の叫びのような文章を見ているうちに、想いが伝わってきて、涙することがあります。

こんな人たちは、霊的真理でしか悲しみは癒されないと考え、シルバーバーチの霊訓の存在を知らせるコメントを送りました。



この1冊の本に書いてある内容を、直ぐに受け入れられ、人生に革命が起きる人がいます。

しかし、多くの人はそうでありません。

魂は不滅であるのは、事実です。

なぜ、その事実を最も必要としている人たちが、受け入れられないのか?

魂に受け入れる時期が来ていないのは確かであり、その時が来るまで、傍観するしかないのかもしれません。

しかし、姿の見えなくなった現実に、悲しみ、苦しんでいる人たちに、一人になってしまったのではなく、そばにいてくれて、また逢える時が来るという事実を、ブログを通してどうしても知ってもらいたいと思いました。



書く人間の想いが伝わってこない文章では、読んでもらえないと思いましたので、真理に照らし合わせながら想いを込めて書くことにしました。

最愛の人を亡くした経験のない私が、遺された人の心に訴えるには、霊界からの援助も必要だったようであり、インスピレーションを受けながら書いて行ったと思います。

稚拙な文章かもしれませんが、霊界の意向に沿ったものであると信じています。



しばらくして、20代の娘さんを自死で亡くされたお母さんから、コメントをいただきました。

読んで、涙してくれたそうで、想いが伝わったようで、書いて本当に良かったと思いました。

お母さんもブログを書いていたので読んでみましたが、その悲しみ、苦しみ、後悔は、想像を絶するものであり、生き地獄と言って良いものでした。

もし、私がお母さんの立場になったなら、霊的真理を知っていても、悶え苦しんでしまうのではないかとさえ思いました。

亡くなったいきさつを考えると、霊的真理をそのまま伝えてしまうと、さらに苦しみが増してしまうのではないかと思いました。

悲しみに沈む人たちに真実を伝えて癒したい、この世で生きる勇気を与えたいと思いつつ、1つ1つ言葉を選びながら、真理と矛盾しないように、さらにブログを書き進めていきました。

私が文章を考えたつもりでも、実は霊界からの想いを無意識に受け取りながら、書いていた部分も多かったと思います。



向こうに逝った人は、遺してきた愛する人がこの世で嘆き悲しんでいるのを、ただ傍観するしかありません。

その様子を見ていられない、向こうにいる人から想いを受け取り、ブログ上で伝えた文章もいくつかありました。

私の意志で書いたつもりでしたが、向こうの意向により、計画的に進められているようです。



ブログを見て、救われたと言っていただいた時、それは私にとって大きな喜びとなります。

ほんの少しですが、義務を果たせた、安堵感のようなものも感じます。

もし、魂が目覚めて、霊的真理を受け入れ、生き甲斐のある人生を送ってもらえたならば、最高です。



痛みや苦しみ、悲しみに耐え、真実(真理)を求めている人は、世の中に数限りなくいると思います。

しかし、真実の所在を知らない人がほとんどであり、玉石混淆の中で、上手くたどり着ける人は少ないのかもしれません。

今は、インターネットを通じた出会いがあり、情報を共有できる時代です。

ありがたいことに、このブログにリンクを張って下さる人がいて、そこから訪れる人もいます。

そして、「シルバーバーチ」だけではなく、さまざまな言葉で検索して訪れてくれる人も多くなりました。

そんな人たちに、霊的真理について知ってもらいたいと考えています。

今は、必要なくても、その先の人生で、真理を求める時が、いつ来るかもしれません。

その時に、こんなことを書いていたブログもあったと、思い出してもらいたいのです。

真実を求めている人が、最短で「シルバーバーチの霊訓」という最高の真理にたどり着き、私のように救われたなら、これ以上うれしいことはありません。



書く文章は正直です。

勉強不足、理解力不足は、修養不足は隠せません。

自分の足りなさを、つい忘れてしまうと、それが露呈され、見苦しい文章になってしまいます。

常に自分を見つめ直しながら、書かなければいけないと思っています。

言葉にするのは簡単ですが、とても難しいです。

ご助言や、ご意見がありましたら、遠慮なく連絡していただければ幸いです。







2016年4月7日木曜日

ガン(癌)の真相



先月、歯の治療を続けていた患者さんから、当分の間、治療を休みたいと言われました。

どうしたのかと尋ねたところ、乳ガンになって手術を受けることになったと言われました。

私と同年代の、とても明るく、快活な女性ですが、覚悟を決めているような気配が窺われました。



仕事が終わった後も、その患者さんのことが気になりました。

もしかしたら、お役に立てるかもしないと思い、失礼かと思いましたが、思い切って自宅に電話をかけてみました。

話をしてみると、幸いにして早期でしたが、浸潤性の悪性度の高いガンであり、それも左右に見つかり、乳房を全摘する予定だそうです。

20年近く前に、子宮ガンにもなって手術を受けていたそうです。

女性の象徴とも言われる乳房を失わなければならない心境は、男である私には判るはずもありません。

手術せずに、良くなって欲しいので、その晩、遠隔ヒーリングをする旨を伝えたところ、快諾していただきました。

翌日、患者さんから連絡があり、会って話がしたいと言うことでした。

休日の午前中に、ご主人と共に来られましたが、ヒーリングを行った時に起きたことを、具体的に話をされましたが、聞いている私も信じられないような内容でした。

その体験に驚くと共に、どのようなことが起きたのか知りたがっているようでしたので、私が理解している範囲で説明しました。

明るい表情、輝く瞳に、真実を受け入れる時期が来ている人かもしれないと思いました。

10年前の私が手に入れたものを、この人も手にしようとしているのならば、とてもすばらしいことです。

そして、ヒーリングにより肉体も癒されて、乳房にメスが入らないようにと、願わずにはいられません。



この世では、生涯健康で一生を終える人もいれば、この患者さんのように2度もガンを患う人います。

また、同じ種類、同じステージのガンであっても、亡くなってしまう人もいれば、健康を取り戻す人もいます。

医学的な常識として、早期に発見して、早期に治療すれば、生命予後は良好であり、進行してしまったガンについては、治療をしても予後は不良とされています。

しかし、初期のガン(ステージⅠ)で手術をしても、再発して亡くなる人もいますし(5年実測生存率16.1%)、進行したガン(ステージⅣ)でも、常識に反して生存している人もいます(同15.9%)。

ステージⅠで亡くなった人は運が悪い人で、ステージⅣでも生きている人は運が良い人と片付けてしまっていいのでしょうか?

それとも、受けた医療の差によるものなのでしょうか?

何か別の要因が働いているように思えてなりません。



私は10年前から、ヒーリングを行っています。

信じられないかもしれませんが、ヒーリングを受けて、ガンが治癒してしまう人がいます。

その一方、ヒーリングを受けても、亡くなってしまう人もいます。

その差はどこから生まれるのか、答えを知りたいです。



ヒーリングについて少し説明します。

ヒーリングは魔法のような力ではありません。

誰もが持っている、自然治癒力の延長線上にある力だと思います。

ヒーリングの力は、霊界でオーダーメイド(調合)され最適なものとなり、地上のヒーラーを媒体として、個々の患者さんに届けられると言われています。

ヒーリングを受けて治るのは、病気による苦痛を十分に味わった人(償いが終わりかけた人)、魂が目覚める時が来た人であり、まだ、機が熟していない人は、いかなるヒーラーでも治せないと言われています。

魂が癒されることで、肉体上の病気が癒されます。



この事実から推測すると、早期のガンでも治る時期が来ていない人は、再発してしまう可能性があり、末期であっても治る時期が来た人は、治癒に向かうのかもしれません。

手術で切り取ってしまえば、それで終わりになるものではないと思います。



現代医学は、病気を外面(物質)的にしか捉えていません。

多くの病気の原因は、内面にある、精神あるいは魂に隠されていると思います。

ガンの外面だけ見ると、際限なく増殖し、死に至らしめるとても怖い病気ですが、本質は恐れるものではないのかもしれません。



あらゆる病気は自然法則に従って生じ、進行あるいは治癒し、偶然の入り込む余地は全くありません。

自然法則とは、宇宙に秩序と調和をもたらしている「決まり」と言えます。

全ての生き物には、霊的な自然法則が働いています。

霊的な自然法則は、神の心を表現させる方向に、導くために働いていると思われます。

神の心とは、お互いを認め合い、愛し合い、一つにさせようとするものであり、絶え間ない力が、霊的な法則を通して顕現していていると考えられます。



この世界には、実にさまざまな人がいます。

人は、自分にはない他者の優れたところを取り入れることで、成長して行くと思います。

個々の人間に、差異があるのは当然であり、性格、考え方、価値観が違うからこそ、世の中に広がりと厚みが生まれていると言えます。

差異を認め合えば、そこに調和が生まれ、全体が進化しながら、1つにまとまって行きます。

もし、認めなければ、不調和が生まれ、進化は停滞し、分裂が始まります。



桜の木に咲く花は、1つ1つは独立した存在に見えます。

しかし、同じ幹から分かれた枝から出ているので、全ての花同士はつながっていると言えます。

人も動物も同じであり、地球上の生命(魂)は根幹で互いにつながっていますが、肉体があり、生命は見えないので、どうしても別個に思えてしまいます。



子供の時には、人や動物との間に垣根はなかったので、親近感を覚え、同じ仲間のように感じていたと思います。

トラックで工場に運ばれて行く牛たちの瞳に、悲しみを見出したのは、本当の自分(魂)で生きていたからだと思います。

しかし、大人になるに従い、いつしかそんな牛たちの存在を気にも留めなくなります。

それは、より良く生きようとするあまりに、表向きの自分が作り上げられ、本当の自分は奥に引っ込んでしまったからだと思います。



本当の自分(魂)は、他者との差異を認め合おうとしていますが、表向きの自分は、他者と間に壁を作って認めようとしません。

本当の自分(魂)の想いと、表向きの自分の思いの間に大きな隔たりがあると、不調和が生まれ、混乱が生じてしまいます。

本来、人は本当の自分(魂)から生まれた想いを、肉体を使って表現しなければいけませんが、作り上げてきた自分の存在が大きくなってしまうと、素直に表現できなくなります。



この世では、いろいろな出来事が起きるため、さまざまな想いが生じています。

想いは、肉体で表現される素となるエネルギーと言って良いと思いますが、言葉や肉体で表現できないような想いもあります。

差異を容認しなかったために生まれる想いは、怒り、憎しみ、恨み、嫉妬、それに類似した言葉に表せない想いであり、それらは一様に破壊的な力を秘めています。

外に向かって表現してしまえば、攻撃的で暴力的なものになってしまい、他者との間に不和や争いが生まれてしまうかもしれません。

想いは消えてなくなる泡のようなものではありません。

外に向かって表現されなかった想いは内に溜まって、その人の言動に影響を与え続けています。

怒りが溜まった状態では、人に優しくするのは困難であり、人を怒らせてしまったり、傷つけたりしまうような言動を取ってしまうかもしれません。



人は、自分(魂)を成長させるために生きています。

困難を乗り越えたり、やさしさや思いやりを表現することで、成長して行きます。

ところが、差異を容認しなかったために生じた想いが内に溜まっていると、自己中心的になり、成長を促すような行動が取れなくなります。

それは成長を続ける宿命を持った魂にとって、由々しき事態です。

しかし、自分の内にそんな想いが溜まっているなど、思いもつきません。



想いを表現するために、肉体は存在しています。

内に滞った想いは、因果律の働きにより、内部で病態となって表現されます。

内に溜まった破壊的な想いは、時にガン組織となって肉体上に表現されることになります。



差異を容認しないのは、自然法則に反するものです。

過ちに気付き、正さなければいけません。

生命を脅かす危機的な状況や、ガンによる苦痛は、魂にまで響き、眠っていた本当の自分(魂)を目覚めさせます。

本当の自分の想いは、お互いを認め合い、許し合おうとするものであり、内に溜まっていた想いは親和性を失うため、解放されて行きます。

肉体上に表現されたガンは、想いと言う本体を失い、消失して行きます。



つまり、ガンは人との間の差異を容認しなかったために生じた想いが、肉体上の病変として表現されたものと言えます。

ステージⅠでも、ガンが再発するのは、想いと言う本体が解放されていなためであり、ステージⅣでもガンが治癒するのは、想いが解放されたためと思われます。

 ヒーリングにより治癒が起きるのは、愛の力により内に溜まった想いが解放されるためと考えられます。

ガンが治癒する人は、魂が目覚める時が来た人であり、認め合い、許し合うことの大切さに、気付いた人だと思います。



魂は肉体に宿ると個別性が出現するために、それぞれが全く独立したものであると錯覚を起こします。

しかし、本来はつながっていて、1つのものです。

個別性を得たそれぞれの魂は、さまざまな体験を通して進化し、再び一つになろうとします。

一つになろうとする想いは愛であり、怒りや憎しみはお互いに反発し、魂を遠ざける想いです。

ガンとは、怒りや憎しみの想いが、肉体上で反発し合う組織となって表現されたものであり、調和を失わせる想いが、調和を失った組織として表現されたものと考えられます。

怒りや憎しみを外に表現すれば、他者に苦痛が生じます。

内に表現されれば、自分に苦痛が生じます。

内にある想いに苦しみ、内にある想いに痛みを感じています。

1つになろうとする魂の欲求を妨げる想いは、自然法則に反したものであることを、病気の苦痛を通して、償いながら学んで行きます。

自然法則に気付き、従ったならば、内部に調和が生まれ、肉体上の病は癒されます。



他者との間にある差異を認め、許し合えばいいだけです。

自分にも足りないところ、至らないところがあることに気付けばいいだけです。

お互い様です。

差異を容認しない想いは、1つになろうとする想いと対極にあり、その想い変えていくために自然法則の1つとしてガンが存在しています。

差異を乗り越えて、1つになろうとする力の根源は愛です。

愛により、宇宙に起こる全ての事象は解決されます。



末期ガンで、現代医学に頼らずに治癒した人たちがいますが、科学的に説明がつかず、例外とされてしまいます。

そんな人たちの中に、病気になって良かったと、ガンに感謝している人たちがいます。

自分をさんざん苦しめた病気に対し、感謝するのは不思議に思えますが、ガンになって初めて本当の自分の想いに気付き、本来の自分に戻れたと、心から思っているからではないでしょうか。

さらに言えば、本当の自分が目覚め、本来の生き方に戻るために、ガンと言う病気が自然法則として存在していると思います。

人生を軌道修正し、シナリオに沿って成長して行くために、ガンという病気になる必要があったと思われます。

ガンは医療で治るものではなく、本来の自分を取り戻すことで治ると思われます。



周りにいる人に感謝して下さい。

わだかまりを捨て、心を開いて下さい。

自分にも欠点があり、人にも欠点があり、それを補い合って生きることに意味があります。

自分一人で生きているのではなく、他者により支えられて生きています。

そのことに気付くことで、差異は容認されていきます。



でも、それだけでは説明できないガンもあります。



まだ幼いお子さんがガンになり、闘病生活もむなしく亡くなってしまうことがあります。

血を分けた自分の子が、目の前で息絶えていく姿を見るほど、過酷な現実は見当たりません。

寿命の数分の1も生きられないのであれば、運命を呪ってしまうかもしれません。

ご家族は、幼くして死んでしまった理由を見つけようとしても、どこにも見つけられません。



ガンは差異を認めなかったために生じた想いが原因と前述しましたが、亡くなったお子さんにそんな想いがあるとは考えられません。

人には、それぞれ生まれる前に約束していたシナリオがあり、それに従って人生は展開していきます。

人智を超えたプログラムのようなものが存在し、それが正確に作動していると思います。

あらゆる手段を使って、そのプログラムを変更させようとしても、それは無理であり、決められた方向に向かって進んで行くだけです。



子供を喪ったご家族には、それぞれのシナリオがありますが、目的は1つに集約され、この世で自分(魂)が成長するためです。

過酷な現実がシナリオに従って起こり、その現実と対峙する中で、何かを見出し、そして再び歩き出すことで、魂は大きく成長して行くと思われます。

そんな現実などいらないと思っても、自らが大きく成長しようと願い、選んだシナリオであり、それに耐えられるほどの魂であるからこそ、許されたと思われます。



早くしてこの世を去るお子さんは、周りの子供たちよりも大人であり、幼いながらも家族や周囲の人を気遣い、わがままなど言ったりしないのかもしれません。

目に見える姿は幼くても、そこに宿る魂は十分に成長を遂げているのかもしれません。

この世のシナリオは短いながらも、周囲に大きな影響を与え、自らの死により、周囲の魂を成長させるという目的を持っていたのかもしれません。

困難に立ち向かって行く大切さを、小さくても病気と気丈に闘う姿を、周りの人に見せて教えていたのかもしれません。

生きる力と勇気を一生涯に渡って与え続けるために、この世にいる時間を短くする必要があったのかもしれません。

子供の死という、これ以上ない悲しみや苦しみを通して、大きな成長を望んでいた親の元に、この世で学ぶことがほとんどない成長した魂が生まれ、その目的を果たすためにガンという病気になり、闘う姿を見せ、愛の大切さを教え、この世の去って行ったのかもしれません。



同じガンという病気でも、本当の自分に目覚め、成長するためになる人もいれば、周囲の人を目覚めさせ、成長させるためになる人もいると思います。

どちらにしても、目的は同じであり、魂の成長です。

その貴重な経験により、他者の痛みや想いが判り、差異を乗り越えて1つになるために、自然法則の一環として、ガンは存在していると思われます。