2014年1月26日日曜日

生きている!そばにいる!


昔からの知人であり、仕事でも係わっている人の長男が、昨年の12月に亡くなりました。家族と遠く離れて大学生活を送り、地元での就職も決まり、今春には戻ってくる予定でした。交通事故でした。

父親である知人をはじめ、お母さん、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃんの衝撃、悲嘆は、想像を絶するものがあると思われます。起きてしまったことが、いまだ信じられないのかも知れず、悲しみやつらさと向き合っていくのは、これからなのかもしれません。大学生活を終えて、社会のために活躍していこうとしている若者が亡くなる理由は、どこにも見当たりません。

仕事にも誠実で真剣に取り組み、家族思いで、曲がったことが大嫌いな知人が、なぜ、このようなつらい経験をしなければならないのか、わかりません。

これから結婚をして、家族を持ち、たくさんの楽しい思い出をつくっていくことを、疑わなかった知人にとって、突きつけられた現実は、あまりにも非情で過酷と思われます。親として、育ててきた子供を亡くすことは、この世で最もつらい苦難の1つに違いありません。

私は、シルバーバーチの霊訓から霊的真理を学びました。死に対する考え方も一変し、怖いものではなく、魂が肉体から解放されることであり、むしろ喜ばしいことであることも知りました。しかし、まだ未熟なために、いざ自分の子供が突然の事故で亡くなってしまったら、平常心でいることは難しく、大きな悲しみや、喪失感を抱いてしまうような気がします。

ただ、忘れてはならないことがあります。それは、(肉体が)死んでしまった子供の魂は生きていて、目には見えなくても、家族と一緒にいるということです。

人は死んだら火葬され骨になりますが、生命である魂は、肉体とは関係なく存在し続けています。肉体がなくなった以外は、意識も、記憶もあり、性格も、すべてそのままなのです。

肉体のない魂は、地上(物理)的制約は何1つ受けませんので、地上のどこへでも瞬時に移動することができます。子供の帰るところは、ただ1つ、わが家です。家の中のいつもの居場所にいて、家族の様子を見ているだろうと思われます。

もし、家族が悲しみにくれ、会話もなくなり、雰囲気がすっかり変わってしまったら、きっと戸惑うことになるでしょう。大好きな人、愛する家族が、嘆き、悲しんでいる姿を見ることは、堪らなくつらいことです。

何とかして、そばで元気に生きていることを知らせたいと思うことでしょう。しかし、目の前にいることに、全く気付いてもらえないのです。「ここにいるよ!ここに!」と、肩に手をかけて教えようとしても、かけた手はむなしく、体を素通りしていくだけです。向こうの世界に行った人が、この世の人に存在を知らせる手段は限られていますので、自分にはどうすることもできないことを知り、深く失望していると思われます。また、交通事故という予期せぬ死であったため、自分の身に起きたこと、肉体をすでに失っていることに、気付いていなかったり、起きている現象が理解できず、混乱していることも十分考えられます。

一方、家族の心は、亡くなって1、2ヶ月では深い悲しみにより閉ざされていて、周囲とのかかわりを持ちたがらないのかもしれません。私は、死の悲しみを癒すものは、霊的真理の他にないと確信していますが、今、家族に伝えたとしても、素直に聞き入れてくれることは、難しいのかもしれません。

以前、同じく子供を交通事故で亡くされた知人に、「今も生きている」ことを伝える機会がありましたが、残念なことに拒否と思われる言葉を受けてしまいました。亡くなってから日の浅い家族は、ただ帰ってきて欲しい、元気な子供の姿をもう1度この目で見たい、この手で抱きしめたいと、願っているだけです。そして家族以外には、到底この気持ちは分からないと、思っています。私の行動は時期早尚であったのかもしれません。

しかし、亡くなった子供は、家族にどうしても「生きている!そばにいる!」ことを伝えたいのであり、霊的な知識を有するもの以外に、代弁してやることが不可能なことも確かです。

もし、「生きている」という事実が、家族により否定されれば、想いは一方通行になり、両者の魂は、つながることはありません。それは亡くなった人が最も怖れ、悲しむことであり、第2の悲劇と言えるのかもしれません。いくら「生きている」と言われたとしても、にわかには信じられないことは、理解できます。しかし、死ぬと何もかもなくなってしまうことを、証明するものは何もないのに対し、「生きている」ことを証明することは、しかるべき通路(霊能者)がいれば可能です。

すべては摂理に従っているために、証明される機会が与えられていないだけです。死別という深い悲しみは、魂を目覚めさせ、向上させるという、きわめて大きな意味がありますので、つらいことですが苦難にじっと耐える時も必要です。そして時期が来て、愛する人が生きている証が、もたらされることになるかもしれません。

いつの日か知人が、「(魂として)生きているかもしれない」と思うことができたのなら、両者のつながりは確実に深まり、「そばにいる」気配を、感じ取れるかもしれません。さらに「生きている」と信じ、親愛の想いを向け続けていれば、両者の魂が同調して、インスピレーション(直感)という形で、子供の想いが、知人の魂に、届けられることになるかもしれません。何も考えていないのにもかかわらず、心の奥底に思い浮かぶものを感じたのならば、それは向こうの世界から投げかけられた「想い」である可能性があり、見過ごしてはいけないと思われます。

向こうにいる人は、家族に愛する想いを伝えたいのであり、その一念で、向こうから家族の魂に働きかけています。向こうは物質世界ではありませんので、目に映る映像や、耳で聞く言葉で、この世の家族に、想いを伝えることは出来ません。

魂の世界ですから、五感ではなく、同次元の魂に、想いを投げかるしかありません。もし、その働きかけが功を奏し、この世に残してきた愛する人の魂に、想いが“ひらめき”として伝わったのなら、それは願いが叶った瞬間であり、向こうに行ってしまった人にとってこれ以上の喜びはないと思われます。

愛する者同士はいつも一緒であり、離れ離れになることは、決してないのです。




参考ページ: 「愛する人を亡くした人へ」








8 件のコメント:

めて さんのコメント...

ありがとうございます。
2013年10月に娘を自死で亡くしました。1年経とうとしているのに今も苦しみの中にいます。
娘は目に見えなくても「傍にいる」ことが
自分の救いであることなので同じ境遇の人に
伝えようとブログに書こうと
実際にあった「霊を傍に感じた経験」をインターネット検索していて読ませて頂きました。涙がこぼれています。
ありがとうございます。

イクミ さんのコメント...

めてさんへ
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。真実を知り、ほんの少しでも心が安らぐのであれば、本当にうれしいです。亡くなった娘さんは、ブログに書きましたが、目には見えない形となりましたが、間違いなく生きています。これは慰めでも何でもありません。肉体はもうありませんが、意識、心はそのままです。傍らにいつもいると思いますが、めてさん苦しみの中にいるように、娘さんもまだ後悔と苦しみの中にいると思われます。苦しみやつらさから逃れようと、死を選んだのに、何も変わらないと分かったからです。そして、めてさんや親しい人を、悲しませてしまったことを、とても後悔しているからです。神の摂理により、肉体はなくなっても、魂として生き続けます。そのことを知らなかったとは言え、死を選んだ娘さんは、償いをしなければいけません。しかし、神は無限の愛であり、永久に続くことはなく、赦される時がきます。
生前、娘さんとめてさんが、仲の良い親子であったのならば、めてさんを悲しませ、苦しませている想いは、実は、めてさんを悲しませ、苦しませてしまったと後悔している娘さんの想いそのものかもしれません。肉体があるしにかかわらず、愛する者同士は、魂と魂でつながっていて、想いは伝わるからです。
亡くなって1年も経っていないので、難しいのは承知で言います。めてさんの悲しみや苦しみは、娘さんの悲しみや苦しみとなり、娘さんを愛する想いは、救いとなり、明るい光となります。
どうか、今、後悔をしている娘さんのために、愛の想いを向けて下さい。それだけが、頼りかもしれません。
苦しんでいた娘さんのために何もしてやれなかったと思う前に、今、苦しんでいる娘さんのために、愛の想いを向けて下さい。めてさんの愛を必要としています。これほどまで、必要としている時はないと思います。
目の前にいると思って、愛する想いを、言葉にして伝えて下さい。娘さんには、必ず伝わっています。
今からでも、娘さんのために、してあげることができるのです。
愛することができるのです。
愛する想いにより、娘さんは癒されます。
娘さんが癒やされれば、めてさんも癒されます。
めてさんの悲しみや苦しみの想いが、愛の想いに変わることほど、娘さんにとってうれしいことはありません。
めてさんの笑顔が1番好きだと思います。
涙を拭って、笑顔でいるようにして下さい。

N さんのコメント...

イクミ様、はじめまして、こんばんは。
Nといいます、よろしくお願い致します。
2年以上前のこちらの記事でコメントを書かせて貰ってよいのか迷いましたが書かせていただきました。
年末年始のお忙しいところを長文になってしまうことをお許し下さればと思います。

今月上旬に父親を病気で亡くしまして、入院から5日目で急死でした。
医師から父が長くないことを覚悟をしてくださいと言われたことに
冷静でいられました(家族の前で泣いたことや、今もたまにウルッときます)
その2日後に父が意識なくなり、呼吸が乱れていましたが、
父が19時頃に回復し、喋れはしませんでしたがこちらの問いかけに笑みがあり、
こちらの反応に対し、目があいましたし、少しにぎやかになりました。
面会時間も終了なので帰り、その3時間後に父が亡くなったのですが、
自分が1番最初に着いたのですが、自分が着いた2分前に亡くなりました。
母や親戚は泣いてましたが、自分はなぜか涙が出ず、
医師に宣告を受けた日の翌日から探していた葬儀会社に冷静に連絡致しました。
家から病院に近いこともあり、寝台車で、家、父の勤めていた会社、父が好きだった場所を
周ってもらい、遺体を葬儀会社の安置所まで行きました。
葬儀までの約1週間、毎日、父に会いに行き、毎日晴れでした。
葬儀前日には母の葬式用のバッグがいつも置いてある場所から違う場所に置いてあり、
葬儀の日の火葬前では、喪主の自分の数珠が切れて落ち、床にバラバラになり転がりました。
葬儀当日は父の好きな富士山で快晴、遺影も富士山の河口湖です。
葬儀の会食も自分の従兄弟と久々に再会し、にぎやかでした。

長文なので、次に書きますので、よろしくお願い致します。

N さんのコメント...

イクミ様、Nです。続きです。
喪主も完璧とは言えませんが周りの助けもありましたが出来ました。
父に褒められてるような感じがしました。

父がいなくなり悲しいし、寂しいのですが、父がそばにいる感じがし、
なぜか「魂 そばにいる」で検索したら、
イクミ様のブログの「生きている そばにいる」の記事に着きました。

記事を読ませていただき、父は肉体はないけど、
魂は生きていて、そばにいてくれてるんだと思いました。
父は自分に元気な時や入院の時に食べ物を分けてくれていたので、
自分も自分のおかずを父に食べてもらうようにしました。
結構、夢にも出てきていて食べ物が多いのです。

父が亡くなり、いつも身内が母の隣りに寝てるのですが、
その日は身内が出かけ、自分が母の隣りで寝ました。
母は、その日に出かけたので、自分は疲れで寝ていました。
自分が寝ている隣りにリビングがあり、父の遺骨も置いてあるのですが、
リビングがミシッミシッと音がするんです・・母かなと思ったら、まだ帰ってきてないんです。
上を見たら、光の玉が入ってきたんです。
自分は、亡くなってからも毎日、父に挨拶してるので、
心配して見にきてくれたのかなって思いました。

本日(30日)も2回、父の夢を見ました。
身内が出かけ、母の隣りで寝ていると、入院した時の父が夢に出てきました。
自分が父にどこに行くの?って聞いたら、
父はお風呂に行くと答えました・・
うちでは、毎年31日は大みそかにお風呂に入ってから紅白など見るんです。

身内が朝に帰ってきたので、自分の部屋で帰って寝たら、
夢に幼いころの自分が、犬に袖を引っ張られて自転車で逃げてる所でした。
若いころの父が出て来て、犬を追い払い、飼い主に注意してくれました。

父が亡くなってから、父が働いてた時、通院、入院してた時も
付けていた腕時計を父と出かけたいと思った時に着けてるのですが、
昨日、母と買い物帰りに父の腕時計を着けていると父に守られてる感じがして、
落ち着くと話したら、今日の夢に父が自分を守ってくれ嬉しかったです。

一昨日も父が夢に出て来て、家族で焼肉を食べてる夢だったので、
父が焼肉が食べたいんだなって思い、
夜ご飯は焼肉を父と一緒に食べました。


イクミ さんのコメント...
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イクミ さんのコメント...

N様

初めまして、イクミです。
今月初めに、お父様を亡くされて、今までにない、つらい1ヶ月を過ごされたと思います。
文面から、本当に仲の良いご家族であるのが判ります。
あなたとお父様は、深い信頼関係で結ばれていると、お察しします。

現在のお父様ですが、ご家族と共に家で過ごされていると思います。
葬式の様子などを見ていて、自分が死んだことは判っていると思いますが、何十年と生活していた場所が、やはり居心地が良いからです。
お父様と夢(幽界)で会っている時に、食べ物に関して多いそうですが、亡くなってしばらくは、お腹が空いたり、のどが乾いたりするようです。
肉体は無くなったので、食べる必要はないのですが、地上での習慣の名残りがしばらく続くようです。
いままでのように、家で風呂に入ったり、テレビを見たり、想念上でしているのです。
今は、自分のいる世界より、前にいた世界(この世)に関心が向いていますが、しばらくすると現状を認識して、周囲の環境に馴染んでいきます。

肉体はなく、目に見えない魂だけの存在となっていますが、意識も心もそのままです。
部屋で音がしたり、光の玉が見えたそうですが、お父様が存在を知らせようとしていると考えて間違いありません。
今までのように、ご家族と言葉でコミュニケーションを取れないことに少しいらだちを覚え、悲しんでいる姿を見て「俺はここにいるぞ」と、伝えたかったのかもしれません。
あなたは悲しみで取り乱されておらず、冷静でいられたので、おぼろげながら存在を認識してもらい、お父様は安心したと思います。

病院で、少し回復した後に、お父様は亡くなられたそうですが、この世でのお別れをしたのだと思います。
神は愛であり、愛し合う人たちに、そんな時間を与えてくれるようです。

お父様の姿は見えなくなりました。
しかし、ご家族との関係は何も変わらず、愛情はいささかも失われていません。
腕時計を着けていると守られている感じがすると言うことですが、子供の時のように守られています。
夢の中で、お父様が犬から守ってくれたそうですが、そのことをあなたに伝えたかったと思います。

どのように守ってくれるかですが、あなたの魂に想いを投げかけて、危害が加わらない、良い方向に導いてくれます。
頭の中でひらめくものや、ふと湧き上がる衝動があったら、それはお父様が投げかけた想いかもしれませんので、気のせいにしないで下さい。
迷うようなことがあった時に、お父さんだったらどうすると、想いを投げかけると、何らかの形で返してくれると思いますので、心を鎮め、細心の注意を払っていて下さい。
遠くに行ってしまったように感じますが、実はとても身近にいて、今までと同じ気持ちで、ご家族を見守っています。

あなたは、これからも親孝行が出来ます。
それは、お父様から教えてもらったこと、伝えてもらった大切なことに、忠実に生きることです。
お父様の遺志を、あなたが引き継ぐことです。
なぜなら、それが向こうで見守っているお父様の悦びとなると思われるからです。

あなたのこの世での生き様を、お父様は全て承知していると考えて下さい。
恥じることのないように、生きて下さい。

何十年先か判りませんが、再会の時が訪れます。
その時に、自分の代わりに家族を守ってくれてありがとうと言ってもらえる、そんな生き方をして下さい。

こちらの想いは、向こうに届いていることを忘れずにいて下さい。
夜は焼肉にしたそうですが、いつものように気遣ってくれて大変うれしいと、伝えたかったと思います。

N さんのコメント...

イクミ様、こんにちは、Nです。
大みそかのお忙しいところを私に返信をいただき、ありがとうございました。
長文を呼んでいただき、ありがとうございます。
イクミ様へのお礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
イクミ様に、父のことをお話して本当に良かったと思いました。
父は本当に家族想いの父で、気遣いもしてくれて、
元気な時も手術で入院の時も、父は自分のことより、
家族の心配をしてくれて、毎日お見舞いに行った時も嬉しそうに感謝をしてくれていました。

父は半年前まで、働いていました。
働いていた時も着けていた腕時計は、入院の時や、亡くなる時も父の病室に置いてあり、
同じく働いていた時に付けていた指輪も5ヵ月前の手術で入院するまで着けていました。
腕時計も指輪も働いていた時に付いた傷や変形もしています。

夢で父がお風呂に入りに行くって行ったので、
大みそかに父の指輪を着け、お風呂に入りました。
父も喜んでくれてる感じが指輪から伝わってきたんです。
父とは休みの日に家族で買い物や出かけていたので、
年末年始に買い物と出かけるときも、
いつも父と出かけたように、父の腕時計着けて行きました。
父の肉体はありませんが、お菓子、食事やお酒も自分の分を先に食べてもらったり、
父の分は父の分の食べ物と箸と茶わんなど肉体があった時のようにしています。

毎日、父に話しかけたりしてるのですが、
昨日、自分と父が二人だけの時に話しかけたところ、
日ごろ、音がしないところに音が鳴り、
私が自分の部屋に戻るねと言ったところ、また普段、音が鳴らない違う場所で
音が鳴りました。
父は本当に一緒にいてくれてるんだなって嬉しく思いました。

イクミ様のブログを読んで、父は「そばにいることが分かり、
感謝しています。
返信をいただき、本当にありがとうございます。

父とのことをまた話させていただけたらと思います。
その時はよろしくお願い致します。

イクミ さんのコメント...

N様

こんばんは。
お父様がそばにいることが判り、何よりです。

全てお父様の計らいだと考えています。
このブログにコメントを書く衝動を起こさせるような想いをN様に伝えて、私がお父様の現状を伝えて、そばで見守っていることをN様に得心させる、お父様の目的が果たされたと思います。
今後も、このような形で、気付かない内に、導いてもらえます。

部屋で音が鳴ったのは、N様の話をちゃんと聞いているのを伝える合図であり、お風呂で指輪を着けて入ったところ、喜んだ感じが伝わってきたのは、お父様の想いがN様の魂に伝わったためと思います。
音などの物理的現象を起こして知らせるよりも、想いを直接魂に伝える方が、お父様にとって簡単で、正確に伝わるので喜ぶと思います。
日常の雑音から離れて、心を鎮めて語りかけて、魂と魂が触れ合う時間を持つようにして下さい。

お父様は、学ぶことを十分に学んだので、少し早くこの世を卒業したと思います。
次の世界で、これまでに学んだことを活かす、奉仕の生活をして行くと考えられます。
もちろん、この世に残してきた人の想いは、瞬時にお父様の魂に届き、必要な時には導いてもらえるでしょう。

愛する者同士の魂は、死を超越してつながっていることを、忘れないでいて下さい。